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寺報1月~裏 「挨拶」

まずは新年のご挨拶、あけましておめでとうございます。

さてこの「挨拶」という言葉はもともと仏教語なんですよ。挨は「押す」、拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。
pht_140103_blg.jpg禅宗では、「一挨一拶」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士がある時は軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。これが本来の「挨拶」なのでした。
そこから転じて、相手を思いやって行うやさしい応答や返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。

「南無阿弥陀仏」のお念仏は、いつも私たちを見守って下さる如来さまへのお礼のご挨拶。日々忘れないようにしたいですね。

わたしにとってのイエス

今日はクリスマスイブ。
せっかくですのでマザー・テレサの言葉に耳を傾けてみましょう。
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「わたしにとってのイエス」
イエスは  神
       神の御一人子
       聖三位の第二のペルソナ
       マリアの御子
       肉となった言葉
イエスは  わたしが話す言葉
       わたしが点す光
       わたしが活きるいのち
       わたしが愛する愛
       わたしが分かち合う喜び
       わたしが与える平和
       わたしが養う飢えた人
       わたしが衣服を着せた裸の人
       わたしが泊めたホームレス
       わたしが介抱した病人
       わたしが勉強させた子ども
       わたしが望んだ望まれなかった人
       わたしが友だちになった精神を病んだ人
イエスは  わたしが助けた困っている人
       わたしが迎え入れたものごい
       わたしがからだを洗ったハンセン病の人
       わたしが口にしたいのちのパン
pht_131224b_blg.jpg       わたしがささげた犠牲
       わたしが背負った十字架
       わたしが我慢した痛み
       わたしが祈った祈り
       わたしが分かち合った孤独
       わたしが受け入れた病
イエスは  わたしの神
       わたしの主
       わたしの配偶者
       わたしのすべて
       わたしのすべてのなかのすべて
       わたしの欠かせない人
       わたしの唯一の人

イエスはわたしが愛している人 ― わたしはその人のもの、わかしをその人から引き離せるものはない。その人はわたしのもの ― わたしはその人のもの。

阿号

pht_131212_blg.jpg私のお気に入りのテレビ番組にNHKの『日曜美術館』があります。
先月、日本のダビンチといわれる芸術家ということで本阿弥光悦が取り上げられていました。

番組の内容とは関係ないのですが、本阿弥以外にも、能の観阿弥・世阿弥、水墨画・連歌の能阿弥、書院造の相阿弥、作庭の善阿弥、立花の立阿弥、美術鑑定の千阿弥など、名前に「阿弥」がついている人がいますよね。
名前の下に「阿弥陀仏」略して「阿弥」「阿」をつけるのを、「阿弥陀仏号」略して阿号といいます。
これは、法然上人に学んだ俊乗房重源(東大寺の再興で有名な人です)がみずから南無阿弥陀仏を名としたところから始まり、浄土宗や時宗などの戒名でよくつけられるようになりました。中世以降は、仏工・画工・能役者など、芸能関係者が好んで用いました。

でも俊乗房重源は真言宗の僧侶ですし、本阿弥光悦は法華経の熱心な信者なんですよねぇ。
う~ん。彼らの信心がよく分からんです。あれもこれもというのは日本人らしいですが・・・。

阿吽

昨日のブログに書いたウルトラ十二神将、息子に「いる? 並べたらほら、阿吽って感じやろ」「・・・口が阿吽になってないやん」「(くそっ、こいつ、そこ知っとったんか。なめてたな・・・)そりゃ、ウルトラマンが口を開けてたらおかしいやろ」
結局、「押しつけんといて~」と断られてしまいました。
ちなみに、ウルトラマンの初期設定では口は動いたんですよ。あの口のイメージが焼き付いているので、動いているところを想像すると気持ち悪いですね。

さて、社寺の門前の狛犬や、山門の仁王像は、一方が口を開いて「ア」、他方は口を閉じて「ウン」と、阿吽の姿をしています。

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サンスクリット語では、最初が「ア」と口を開いて出す音声で「阿」と訳され、最後は「フーン」と]を閉じて出す音声で「吽」と訳されています。
日本のアイウエオで始まる五十音図は、このサンスクリット語の配列にヒントにして、それに基づいて整理されたものといわれていますから、同じく「ア」で始まり「ン」で終わっているのだそうです。
このように、阿吽はものの始まりと終わり、出息入息を示しているのでした。

フフッ、そこまでは息子も知らんでしょう。( ̄ー ̄)

蒲団

pht_131118_blg.jpg風邪を引いてしまいました。
毎日の晩酌もせず、9時に布団に入りました。

さて現在は「布団」と書きますが、もとは「蒲団」と書きました。
坐禅のときなどに、お尻に敷く敷物があります。直径三十センチぐらいの円形で、その中に蒲(がま)がつめられているものです。蒲の葉で編んだものもあります。これが、蒲の葉の団円、つまり蒲団なのです。別名で「坐蒲(ざぶ)」ともいいました。
この「ふとん」に綿を入れるようになったのは、近世になって綿栽培が盛んになってからといわれています。
仏教の用具だった丸い座ぶとんが、四角形になって、いつの間にか寝具となっていったのですから面白いですね。