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続 「人が亡くなった時、仰向けに寝かされのはなんで?」

「いつ答えを書いてくれるんですか。ずっとボーっと生きたままになるやないですか」とお叱りを受けました。
お待たせしました。では・・・

「チコちゃんは知っています。たぶん(笑)。人が亡くなると仰向けに寝かされるのは~、(ジャジャン)亡くなった人を見ることを強制するため~」
・・・どうでしょう。ピンときますでしょうか。

一般に、お葬式は亡き人とのお別れの儀式と思われていますよね。
仏教的には、それだけではなく、死を縁に仏教に出会っていただくということに重きを置きます。
しかし、宗教を問わず、民族を問わず、人類が太古から行ってきた葬送の儀式の一番の目的は、人に死体を見てもらうことにあるんです。

お茶の水女子大学の文化人類学者・波平恵美子さんの『からだの文化人類学』という本から一節を紹介させていただきます。
葬式を執行する人々は決して意図しているわけではないのだが、遺体を「見せびらかして」いるのであり、遺体は「見せびらかされている」のである。亡くなった人が生き残った人々に「見ることを要請している」、さらには、周囲の人々は亡くなった人に「見ることを強制されている」とさえいえる。
つまり、人に死体を見てもらう、それもしっかり見てもらう、見たくなくても見なさいと強制する、そういう意味があるんです。

最近は、葬送の際に遺体を列をなして運ぶということはなくなりましたが、昔はありましたね。
でも、もし運ぶだけなら数人で事足りますし、チャッチャと運んでも構わないはずです。
なのに列をなして練り歩くのには、みんなに「この人は死にました」とわざわざ見せて回るという意味があるんです。

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みんなで亡き人を見送ってあげたい。そういう気持ちもきっとあるでしょう。
でも、亡き人を見送る前提として、死を受け入れるということが必要です。
そのためにも、この人は死にました!と知らしめる必要があるんです。

例えば、戦死された時もそうですし、東日本大震災の時もそうでしたけど、遺体がないと遺族はなかなか死を認めることができません。
遺体との対面は辛いことですが、それがないと遺族の心が迷うんです。
死んだ側ではなく遺族の方が迷うんです。
ですから「お辛いでしょうが、よく見てください。間違いなく亡くなられておられます。分かりますか」「はい・・・」という確認はとても大事なことなんです。     【つづく】

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